○○○の話
今日は私が大好きな○○○について書こうと思います。
なぞなぞです。
Q1.男の人の体の中心でブラブラしているものってなーんだ?
Q2.男性の股のあたりにあって『ち』ではじまるものってなーんだ?
北海道公演、今年もとても最高でした。笑いあり、涙あり、悲鳴あり。前年のライブより格段にパワーアップしていて、彼らの凄さを改めて肌で感じることができました。GWの肉フェスのステージよりも進化していた気がして、このまま見る度に輝きを増していったら今後どうなっちゃうんだろうってこれからがとても楽しみです。
ひとつひとつ書いていきたいのは山々ですが、ここでは1つだけピックアップして綴ることとします。
そうです、アラビアンラプソディです。
「この曲の野崎さんの腰振りがヤバい」とTLで何度か目にしていたので、フリラではどの曲よりも真剣に見ていました。どれだけイイモノなんだろう、と。
もちろん大変素晴らしかったのですが、ディーラーのあの衝撃にはやはり敵わないか〜なんて思った、そんな矢先のことだった。
サビのハイキックでおおおおすごいすごい!と歓喜した直後の、アレ。
初見の衝撃たるや、表現のしようがない、アレ。
幾度となく襲いかかる、アレ。
あの位置で、あの距離で、魅せられる、アレ。
下手に移動しても視線がスコーンと抜けてがっちり見えてしまう、アレ。
もはや笑ってしまう、アレ。
アレ。
大きな声では言えませんが、曲を一通り観ての感想はただ一つ。
ち○○触りすぎでは?
ひた隠しにしていることなのでやんわり書きますが、何かにつけてよくポジショニングを確認しているので、公式で触られると誠にたまらんです。ついにこの時がきたか。
推しの凱旋、第一声を「おかえりなさい!」ではなく「エロガッパ!」で迎えるだなんて誰が想像していただろうか。
ご飯へ移動するタクシーの中で考えた。あれはお風呂での洗い方であり、日常的な行動であろう。それ故、何度やっても同じように120%でアラビアンをラプソディできる。毎夜がアラビアンラプソディだから。
そして、バーで飲んでいる時にある事実に直面した。2部のセトリに含まれているので2日間は間違いなく観れるとのこと。1日1ラプソディ(某茶推しさん談)。そんなのしんじゃうじゃん。
布団に入って眠る前、反省しました。猛省。どう考えても推しに向けて発する言葉ではなかった。きっと待っていたのはこの言葉ではなかったはずだ。困らせてしまった。ショックを受けているかもしれない。明日の握手会で謝ろう。
前日以上のラプソディを魅せられて謝るやつがどこにいる。いるわけなかろう。あんなの不埒千万だ。
ごめんって気持ちはある。もちろんある。あるけど、それは今じゃない、また今度ね。
1日遅れでおかえりを伝えると、返ってきた言葉はこちら。
「(昨日は)エロガッパだけだったもんね!」
もしかして気に入りました?
2日目の2部は、周知のとおり、茶推し他推しに関わらずたくさんの方々が大変なことになってしまった回でありますが、わたしも例に漏れず、野崎さんはダダ漏れだったけど、最後の最後でリアルに腰を抜かしてしまい、しばらく立ち上がれませんでした。今もまだやんわり痛い。
もう感謝の言葉を伝えるしかなくない?
🍜「アラビアンラプソディで、言い難いのですが、股間を触る振付を取り入れてくれてありがとうございます」
— めんえる (@mnl_1506) 2019年7月6日
🍱「HAHAHAHA!でも厳密に言えばあれは鼠径部だから」
🍜「鼠径部?少しズレてませんか?」
🍱「ズレてたらそれはやばいよ〜」
🍜「十分ヤバいです」
1曲に絞って書いてきましたが、この曲に限らず、本当に本当に凄かったんです。
普段から推し定点カメラだけど、意識して見てるんじゃなくて、自然と吸い込まれていった。表情が見えるほど近い距離でも、客席のサイリウム越しにステージを見るほど遠い距離でも、関係なく目を奪われてしまう。ぐちゃっと笑う可愛い笑顔も、曲の世界観を表現した苦しい表情も、客席を沸かせて満足気な顔も、歌もダンスも演技もトークも仕草も、サインボールを天井に引っ掛けちゃうところも、全部全部ぜーんぶひっくるめて大好きな野崎弁当でした。
凱旋で増し増しだったのかもしれないけど、きっと普段からあんな感じでみんなを幸せにしているんだと思うと、本当にすきだなーって、推しててよかったなーって、改めて実感した公演でした。
このこともちゃんと伝えてきました。
わたしは自分の気持ちを面と向かって伝えることが苦手です。言葉を考えていても、その言葉を思い浮かべた自分が気持ち悪くなってしまって、伝えられぬままおどけてしまいます。特に「すき」という言葉を口にすることが若干トラウマで。
そんな自分が、推しに直接、すきだと再実感した、だなんて言えたことが驚きで、よっぽど伝えたかったんだろうなと自分で思います。
言葉を選びながらの30秒はあっという間で、時間の終了を告げられ、何か伝えなきゃ!と思い、咄嗟に、口をついて出た言葉は「愛してます」でした。
多くは語りませんが、今年の初めの頃、生きていることがつらい時期がありました。もう生きるのをやめたいと本気で考えてしまいました。
そんなとき、必ずといっていいほど野崎さん関連の情報が入ってきました。舞台のこと、イベントのこと、ライブのこと、ブログの更新も。
そのたびに、この野崎さんをみるまでは死ぬわけにいかないなと思いました。もっと野崎さんの言葉に触れたいから生きてなきゃダメだなって。野崎さんが頑張ってるのに、前に進み続けているのに、ここで挫けちゃいけないなって思わせてくれました。
大きくなっていく野崎さんをこの目で見届けたい。ずっとずっと。
大袈裟ではなく、本当に、野崎さんのおかげで今、わたしの命があります。生かされています。
ガチ恋でもリアコでもないのに「愛してる」という表現は間違っているのかもしれないけど、色々なことが積み重なって、そこから生まれたたくさんの想いを詰め合わせると、「すき」や「推せる」では収まりきらなくなったのかもしれません。本心でした。
ついに言っちゃったな、この一言じゃ何も伝わらないのに、また困らせてしまうな、とすぐさま後悔しました。
後悔したのに、野崎さんは握手する手をぎゅっと強く握って、ありがとうって目を見て言ってくれました。
伝わった。どこから来たかわからない謎の自信がそこにはありました。絶対に伝わってる。だってあんなの初めてだったから。まだ手に感覚が残ってて、あの強さが、伝わったことを確信させてくれたんだと思う。真偽はわからないけど、伝わってる、そう思っていたいです。
直後に「愛されるエロガッパになるね!!」って一笑いかっさらっていくのは流石だなって思ったし、自分で認めちゃったねって愛おしくなっちゃった。
気持ちは言葉にしなきゃ伝わらないし、伝わったときってこんなに嬉しくて幸せなんだなと思いました。
たくさんの方から愛されて、幸せそうでちょっぴり照れてる姿を見るだけで、いつも幸せです。これからもずっとずっと、末永く、野崎さんには幸せであってほしいので、わたしもできるだけたくさんの愛を伝えていきたいです。
野崎さんが生きててくれるだけで十分幸せ。
野崎さんがいるこの世界はキラキラ輝いていて、温かくて、生きていることが楽しい。
生きててよかった。
この幸せを胸に、この先もずーーっと応援できるように、生きていこうと思う。
わたしが大好きな『のざき』の話でした。